忘れな草日記3
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(3,491)金色有功章までの軌跡
1月31日の今年最初の献血で100回目に到達して、早速明日から、101回目の献血が可能になります。今年は冬コミ献血が200mlだったこともあって、1月下旬にスタートしていますが、一昨年、昨年は2月のこの時期が献血はじめでした。昨年は血液センターで改装で、県庁に行って成分献血をやりました。
そういうわけで明日、午前中に献血に行ってきます。回数3桁目最初の献血です。
16歳3ヶ月で始めた献血は、23歳10ヶ月となって100回目を迎えました。足掛け8年かかっています。鳥取県赤十字血液センターの所長の先生を持ってしても、私の歳で3桁に行く人は記憶にないと言われています。ここまで回数が出ているのは、ほぼ大半が成分献血です。血小板の数の多さにしばしば依頼をかけられ、最近はHLA適合血小板で要請を受けることも多くなりました。
<100回の献血の種別の内訳>
全血200ml 19回 (うち12回は高校生時代のオール全血時代)
全血400ml 4回 (初めての400mlは2007年の冬コミ献血)
血漿成分 31回
血小板成分 46回 (うち2回はHLA適合)
事前検査落ち 2回 (いずれもヘモグロビン濃度不足)
血小板の有効期間が96時間(4日間)しかないことや、年々血小板の需要が増えていることから、今では血漿よりも、血小板を依頼されることがほとんどです。実際に100回のうちの約半分が血小板成分です。これには、私自身の血小板の数の多さも関係していて、仮に需要量に達した場合は、温存を頼まれ、献血をせずに帰されることもよくあります。
鳥取に限らず、全国的に血小板や400mlを求められている今、状況に応じた献血も必要だと感じています。いつでもHLAで要請を受けてもいいようにしておきたいものです。
全血400mlはさすがに何回も出来るものではないので、4回に留まっていますが、200mlしか出来なかった高校生のときから、既に年間上限回数(通算1,200ml)に達していたこともあって、回数が多いです。今では、全血献血は、名物の冬コミ献血か、成分献血の長期ブランクの間に可能な限りさせていただいているぐらいです。
<献血での珍事>
1)穿刺ミス 2回
献血するためには針を刺さなければ出来ません。そこで血管に針を刺すときに、血管を狙ったにもかかわらず、血管に刺さらずすぐそばの筋肉に刺さったことが2回あります。当然、血が出る訳がありません。
もちろん刺した場所が場所なので、結構きつめに刺さって、抜針するのにも一苦労…。そして抜く方が痛いという…。抜くのに針をグリグリされてさらに痛かったです! 私の血管が細い上に腕の内側に向かっているので、針が刺し難いとよく言われますが、今では過去の針跡を目がけて穿刺されているので、穿刺ミスは2007年5月を最後にありません。
2)採血機材のトラブル 1回
成分献血は、専用の機材を用いて、全血を採ったのを遠心分離で赤血球と血小板・血漿に分離させます。この遠心分離機にトラブルが起きたのです…。1分間に5,600回転しているこの遠心分離機が突然、すごい音を立てて止まってしまったのです! 何かが削れるような鋭利な音を立てて機械がとまったので、ルームにいた皆、驚きの表情に…。
3サイクル目の採血終了間際のことだったので、機材に残ってしまった血液がリターンできず、結局200ml献血をしたのと同じことになってしまいました。それにしても、自分の採られている機材が突然トラブルを起こすというのも、これまた怖いものです。
3)VVR 1回
VVRとは、「血管神経迷走症候群」のこと。採血後に感じる、めまいや失神などの副作用を言うのですが、献血草創期に、始めて右腕で採血をするというときに、VVRを起こしたことがあります…。終わり間際になって、ふっとめまいがして、声が出せなくなったのです。大事には至りませんでしたが、採血ベッドを最大限に倒して長時間の休憩をさせられたものでした。
このときは、ずっと左腕ばかりで献血してたのに、初めて右腕でやることになったという未体験の恐怖があって、起こしてしまったものですが、今では献血は必ず右腕でやっています。左腕でやるとなおさら痛いことが後から解かったので…。
4)コスプレ献血
これは、言うまでもなく過去日記を参考にしていただきましょう。2008年、2009年の冬コミ献血での出来事です。
2008年はD.C.の音夢ちゃんをやって、身体が芯まで冷えて、血液が全然出ずに、むりやり自然流下させようとして、採血バッグを地べたにおいた上に、カイロを特別多めに握らされてしまって…。10分もあれば絶対に終る全血献血なのに、15分もかかってしまい、「そんな寒そうな格好して…!」と看護婦さんに怒られ…。確かにニーソだけでは寒かった…。
2009年は、あかね色の優姫ちゃんだったのですが、逆に献血バスにいた看護婦さん皆に「かわいい」と褒めちぎられ、逆にどうしたらいいものか困った献血でした。このときは問題なく採血されたのですが、ものすごい微妙な感覚でした。
これまで7年半、100回分の献血では、いろいろありましたが、特筆するような事項がこれぐらいでしょうかね…。もっと細かいことを書いていくとキリがないので…。ここで止めときます。
ひとまず、また明日から継続して献血をやって行きます。常に年間上限回数にタッチしている状況ですが、可能な限り続けていきます。次の150回の紫色顕彰を目標に…。このペースで行けば、3年半かかる計算ですけどね(汗)。
(2,259文字/書き下ろし)
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